平成18年度 7/4キャラバン報告 福岡県飯塚市立菰田(こもだ)中学校&飯塚第二中学校 講演
H18.7/4(火)
飯塚市は炭鉱の町だ。
つい数十年前まで
ここは日本で最も賑わった場所だ。
しかし炭鉱が閉じられ…
どういった縁か、
直方や大牟田やこの飯塚など
炭鉱に関わる地域からの招聘が多い。
千葉・埼玉県についで
福岡県に私は最も多く出掛けている。
ところで、私は4/19のブログにこんなことを書いている。
なぜか「炭鉱」に縁がある。 福岡県への出張が多い。 大牟田は義父の生まれたところでもある。 私の周りには三井関係で働いている(いた)人が多い。 そう、三井三池炭鉱だ。 最近よく見る夢がある。 炭鉱で働く人の姿か? 何やら労働者がうごめいている夢だ。 なぜこんな夢を見るのか? そして、キャラバンはこうした筑豊周辺に集中した。 昨年公開授業を行った行橋市。 ここにはまた行く。 さらに飯塚市の中学校をダブルヘッダーで講演する。 大牟田市にはありあけ新世高校がある。 また今年もお邪魔する。(福永校長先生との約束だ) 先日、大牟田の教育委員会からの依頼も入った。 さらに小倉… ここまで集中するとなにやら…と思っていた矢先、 決定的なことが。 4/16のNHKドラマである。 風邪がまだ十全に回復していない私は 久しぶりの休みということでお昼まで寝ていた。 そして午後2時ころに遅い朝食をとっていた。 そして何気なくテレビのスイッチを入れると… 炭鉱で起こった落盤の事故。 泣き叫ぶ家族。 そう、NHK福岡発ドラマ「いつか逢う街」だった。 たまたまその日に再放送をしていたのだ。 ドラマの舞台は飯塚市。 ん?イイヅカ? そうだ、7月にキャラバンで行くところだ。 しかもドラマの舞台の「嘉穂(かほ)劇場」は、 菰田中学校と飯塚第二中学校から500mと離れていない。 その偶然に、私は戸惑った。 夢中でドラマを見た。 いいドラマだった。 一日中薄暗い炭鉱の中で過ごす鉱夫の楽しみは 嘉穂劇場で行われる演劇だ。 国定忠治の芝居を見たい一心で 死に切れず、嘉穂劇場の奈落に住み着いている鉱夫の幽霊が主人公。 それをイッセイー尾形が演じた。 自分の息子(永島敏行)と再開した鉱夫の霊は もう一度、国定忠治が見たい でなければ死に切れん! と訴える。 亡き親父の願いをかなえるために息子が奔走する、というあらすじだ。 私はこのドラマを涙なしには見ることができなかった。 それは微妙に私の夢とシンクロしていた。 どうしてあのような夢を見たのか? なぜこうも筑豊地方にキャラバン先が集まったのか? ただの偶然といえばそれまでだ。 しかし私は完璧な運命論者で、 すべてのシナリオは決まっているという見解を持つ。 私自身の人生も、その変化の振り幅も含めて。 だからこれは何かの必然である。 6/1の小倉工業高校での講演は 福岡県教育庁の主催で、地域の中・高校生との意見交換の時間もある。 「働くことの意義」をいかにして伝えるか。 私は炭鉱の歴史を勉強して その中の素材を提示したいと思う。 イデオロギー的なものは私にはわからないし、関心もないが 石油に凌駕される前は、石炭がわが国を支えていた。 多くの人の犠牲の上に今の豊かな日本がある… |
ということで、
菰田中での講演を終えた後
飯塚第二中に送ってもらう際、例の嘉穂(かほ)劇場を見せてもらった。
なかなか雰囲気のあるところだった。
炭鉱での労働はものすごい低賃金だったそうだ。
それでも貧しさから、人々が押し寄せた。
全国さまざまな地方の人たちが入り混じった。
福岡に行くといつも思うのだが
県外の人に妙にやさしい感じがする。
それはきっと、
全国から人が集まったという歴史がつい最近まで続いていたからではないかと思ったりする。
炭鉱は地下に潜る。
山ではない。
大牟田の炭鉱では、
有明海の下、数百メートルものところが炭鉱夫たちの仕事場になっていた。
落盤事故
火災
ガス爆発
一酸化炭素中毒
炭鉱労働者はつねに死と隣りあわせだ。
そうした人々の労働の上に
今の日本の繁栄がある。
かつての繁栄を想像しながら
飯塚市のメインストリートを進んだ。
それはともかく…
菰田(こもだ)中学校は全校生徒100名の大変こじんまりした中学校だ。
講演場所の体育館も独特の雰囲気。
これらの写真はレベル調整してあるが館内はものすごく暗かった。
照明がかなり年季が入っていた。
しかし、このなつかしさはなんだろう。
生徒さんが来る前に一人で講演の準備していると
どこからか人の声が聞こえてくるような気がした。
柔らかい、あたたかい体育館だった。
アットホームな雰囲気の中講演は続く。
7月の福岡は蒸し暑かったが
人数の少なさと午前中の大気に助けられた。
「毒リンゴと英単語どっちが覚えやすいか?」とやっているところ
講演はいい感じで進んだ。
そして最後に聞く質問。
「…今までの話を聞いて、何か、4ヶ月、海馬をだまして、努力してみようと…思った人、手挙げ!」
すると結構上がった。
私もやっていて楽しかった。
講演というものは「握手をしない握手」に似ている。
よい聴衆が相手の講演は
全員と「握手をしない握手」をしているような感じがする。
一体感だ。
これは私だけの楽しみ。
会場すべての目が私だけに注がれる。
切り取ってスクラップした衝動に駆られるが
過ぎた時間は取り戻せない。
過去はつねに過去だ。
…で講演終了後に質疑応答。
会場からは結構質問が出た。
そしてある生徒が言った。
「先生いくつですか?」
よしじゃあみんなに当てて貰おう、ということでそのシーンをビデオでどうぞ。
← クリックすると始まります(30秒)
講演終了後、
昼食をとり飯塚第十二中学校へ。
こちらは350名
菰田中学校に負けず劣らず
みな真剣な目をしていた。
私は福岡県でいやな思いをしたことがない。
高校も中学も。
しかしかつての福岡県は
今の東京都なみに(いやそれ以上に)まとまりがなかったという。
あるとき福岡県の教育長が改革を断行し
学校現場が落ち着いたという話を聞いた。
なるほど。
いつの時代もたった一人から
改革は始まるのだ。
ただ聞いているだけだと飽きてしまうので
どうせならみんなに参加して欲しい。
クイズはみんなで考えて欲しいので
雑談タイムを設けている。
クイズを出すときに、
「では、1つ選んでください、どうぞ」
とやるわけだが、このままではみんな固まったままだ。
会場全体に緊張と弛緩を起こさねばならない。
だから次のように付け加えるようにしている。
「今日は隣の人と同じ答えでもいいよ!」
そうすると会場がにぎやかになる。
「ワイワイ、ガヤガヤ…」
それから机間巡視(もっとも机はないが)をしたりする。
会場が広いと全く私の顔が見えなかったりする。
クイズを考えてもらっている時間に
私はできるだけ会場中を駆け回る。
挨拶して回るのだ。
私はリモートマウスを使っているので
こうしたときは便利だ。
別にスクリーンの前に、パソコンの前にへばりつく必要がない。
体育館の中ならどこの場所からもパソコンをコントロールできるのだ。
こうして飯塚市の2つの中学校での講演を終えた。
そのまま東京に帰り、7/5には足立区立第十二中学校にて講演。
そしてすぐにまた福岡へトンボ返り。
7/6には福岡県の行橋市立長峡(ながお)中学校でしゃべった。
残念ながらこの辺りの記録はビデオに収めていない。
つぎの記録は7/7の熊本県になる。
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